仙台高等裁判所秋田支部 平成9年(ネ)21号 判決 1998年12月10日
控訴人
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
角田由紀子
同
中野麻美
同
渡辺智子
被控訴人
乙川太郎
右訴訟代理人弁護士
沼田敏明
同
菊池修
同
狩野節子
主文
一 原判決を以下のとおり変更する。
二 被控訴人は、控訴人に対し、一八〇万円及びこれに対する平成五年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 被控訴人の反訴請求を棄却する。
五 訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを五分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。
六 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 控訴の趣旨
一 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、三三三万五〇〇〇円及びこれに対する平成五年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 右取消部分にかかる被控訴人の反訴請求を棄却する。
第二 事案の概要
本件は、短期大学の研究補助員であった控訴人が、所属する研究室の教授である被控訴人とともに学会出席のために出張した際に、宿泊先のホテルの室内で、被控訴人からベッドに押し倒されて胸を触られるなどのわいせつ行為を受けたとして、被控訴人に対し、慰謝料及び弁護士費用の支払いを求める本訴を提起したのに対し、被控訴人において、右わいせつ行為を否認し、控訴人の日頃の仕事に対する協力への感謝と励ましの気持ちを伝えようとして、ホテルの室内で控訴人の肩に両手をかけたことがあるだけであってそれ以上の行為はしていない、右わいせつ行為は控訴人による捏造であるなどと反論し、逆に、控訴人が虚偽の事実を公表したことにより、被控訴人の名誉が毀損されたとして、控訴人に対し、慰謝料及び弁護士費用の支払いを求める反訴を提起した事案である。
したがって、本件の本訴反訴を通じての最大の争点は、控訴人の主張するような被控訴人の控訴人に対するわいせつ行為が存在したかどうかであるところ、原審は、右わいせつ行為の存在を否定し、控訴人の主張は虚偽であると判断して、控訴人の本訴請求を棄却し、被控訴人の反訴請求を一部認容した。
当審における当事者の主張は、原判決の事実認定に関する批判あるいはそれに対する反駁、それぞれの提出にかかる証拠の評価に関するものであって、基本的な主張は、原判決が「第二当事者の主張」として、原判決四頁八行目から一二頁九行目までに記載しているとおりであるから、これを引用する。
第三 判断
一 本件に至る経過または背景事情として、証拠(甲八、九、一三、一四、一九、四七、乙一、二、六、原審証人井上正保、原審及び当審控訴人、原審及び当審被控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 被控訴人は、昭和一八年七月五日生まれの男性であり、秋田県農業短期大学(以下「農短大」という。)の付属施設である生物工学研究所(以下「生工研」という。)植物遺伝子工学研究室の教授である。生工研は、植物遺伝子工学研究室、細胞工学研究室、基礎生命工学研究室の三つの研究室に分かれている。それぞれの研究室は、原則として、教授、助教授、講師(もしくは助手)の三名の教官(常勤研究員)、流動研究員と呼ばれる学位を持った研究員一名、右研究員の研究を補助する研究補助員三ないし五名によって構成されていた。研究補助員の職務内容は、研究員の研究を現場で補佐し、研究計画に基づき実験の一部を行うといったものであり、技術的色彩の濃い職員である。研究補助員のうち二名は、秋田県知事から嘱託を受けた特別職非常勤の職員であって、一年毎に雇用が更新されており、テクニシャンと呼ばれていた。それ以外の研究補助員は、各研究室の研究費の枠内で雇用される臨時職員であり、臨時テクニシャンと呼ばれることもあった。なお、植物遺伝子工学研究室の平成五年当時の人員構成は、教官三名(教授である被控訴人、草野助教授、鈴木講師)、流動研究員一名(ニールマール・ジョシー)、テクニシャン二名(控訴人及び菅原和幸)、臨時職員二名(菅原美貴子及び福田秀樹)であった。
控訴人は、昭和二七年一二月一七日生まれの女性であり、昭和五〇年三月に大学を卒業した後は編物教室に通っていたが、昭和五二年一二月に現在の夫と婚姻し、日本通運に勤務する夫との間に二人の子(平成五年一一月当時で一五歳の女子と一一歳の男子)がある。控訴人は、平成二年三月一日にテクニシャンとして採用され、植物遺伝子工学研究室に配属され、同研究室の鈴木講師(右当時は助手。その後間もなく講師となった。)について勤務するようになったが、右当時、臨時職員の菅原美貴子(以下「菅原」という。)も、鈴木講師について勤務していた。
2 控訴人は、平成二年中は、鈴木講師のテクニシャンとして勤務していたが、平成三年一月からは、被控訴人のテクニシャンとして勤務するようになった。控訴人は、平成五年二月ころ、実験方法の教示を受けるためなどの目的で被控訴人の研究室を訪れていた農短大畜産科の佐々木助教授と知り合い、同年四月の農短大の懇親会で同席したことがきっかけで、その後、職場における悩みなどを相談するようになり、その中で、被控訴人に対する不満を述べたり、いつ辞めさせられるかわからないという不安を漏らしたことがあった。
3 生工研細胞工学研究室の教授であり、平成五年当時生工研の所長であった井上正保(以下「井上所長」という。)は、同年七月末ころ、佐々木助教授から、控訴人から、被控訴人のもとでの勤務状況について、「繰り返しの仕事をさせられている。」「仕事を十分にさせてもらえない。」「スポイルされている。」などと不満を打ち明けられて何度か相談を受けているという趣旨の話を聞かされて、控訴人と被控訴人の間に信頼関係が欠けているのではないかとの印象を持ち、その後間もなく、右佐々木助教授から聞かされた話の内容を被控訴人に伝えるというようなことがあった。
4 被控訴人、控訴人及びニールマール・ジョシー(以下「ジョシー」という。)は、平成五年八月二八日から九月三日まで開催された第一五回国際植物科学会議(以下「学会」という。)に参加した。被控訴人及びジョシーは、八月三一日午後八時三四分発の寝台特急で秋田駅を出発して横浜に向かった。控訴人は、あらかじめ被控訴人から右寝台特急の乗車券(普通乗車券及びB寝台券)を交付されていたが、男性二人と寝台車で同行することに抵抗を感じたことから、車両を変更し、同年九月一日早朝に秋田駅を出発する特急に乗車して横浜に向かい、同日午後に横浜に到着して宿泊先の新横浜プリンスホテル(以下、単に「ホテル」という。)にチェックインした後、学会の会場に出席した。
同日の学会が終わった後、被控訴人、控訴人、ジョシーは、会場で出会った知人とともに横浜中華街で夕食をとった後、ホテルに戻った。被控訴人は、各自が部屋に戻る際に、控訴人に対し、時間が早いので外に飲みに行こうという趣旨のことを述べて控訴人を誘ったところ、控訴人もこれに応じ、二人はホテル近くの居酒屋で午後一一時ころまで、一時間程ビールなどを飲みながら話をしたが、同時刻で居酒屋は閉店となったのでホテルに戻った。被控訴人は、右のとおりホテルに戻ってエレベーターに乗るころになって、控訴人に対し、まだ話したいことがあるので被控訴人の部屋でビールでも飲もうという趣旨のことを述べたので、控訴人もこれに応じて、被控訴人とともに被控訴人の部屋に赴き、そこで午前零時半ころまでビールを飲みながら二人きりで話をした。
同月二日の夜は、学会が終わった後、被控訴人、控訴人、ジョシー及びジョシーの友人の四人で食事をした後ホテルに戻った。ホテルに戻った後、被控訴人が控訴人に対し、被控訴人の部屋でビールを飲みながら話をしようなどと言って控訴人を誘ったところ、控訴人もこれに応じたため、同日午後九時半ころから午後一一時半ころまで、被控訴人の部屋で二人きりで話しをした。
5 同月三日午前七時半ころ、被控訴人は、控訴人及びジョシーに電話をし、午前八時にチェックアウトする旨を連絡した。その後、被控訴人は、出発のための身支度を整え、荷物の入ったショルダーバックを持って、自分の部屋(部屋番号・一七〇九)を出て、エレベーターを使用して控訴人の部屋(部屋番号・一六二四)のあるフロアに下り、控訴人の部屋に赴いてドアをノックした。なお、控訴人は、右のとおり被控訴人が部屋にやってくるまでに、シャワーを浴びて衣服を身に付け、髪を乾かしてこれを整え、後ろ髪をバレッタ(髪押さえ)で留めるなどの基本的な身支度を済ませていた。
右のノックに気付いた控訴人が、部屋のドアを開けたところ、被控訴人は、控訴人に対し、「ちょっといい」という趣旨のことを述べて、部屋の中に入れて欲しいという意向を示した。そこで控訴人は、一旦ドアを閉めて室内を整理した後に、あらためてドアを開けたところ、被控訴人は部屋の中に入り、直後に控訴人は部屋のドアを閉めたため、部屋の中で二人きりの状態となった。被控訴人は部屋に入った後、持っていたショルダーバックを床に置いた。
控訴人の主張する強制わいせつ行為(以下、単に「事件」という。)が発生したというのはこの時点である。
二 事件の内容
1 控訴人は、被控訴人が控訴人に対して行ったとするわいせつ行為について、前記のように、被控訴人が、同日午前七時半ころ、当時控訴人のみが在室していたホテルの控訴人の部屋を訪れて室内に入った後、「控訴人の二の腕を強い力でつかみ、控訴人の体を被控訴人に引き寄せてベッドに押し倒し、衣服の上から控訴人の胸などを触り、被控訴人の下腹部を控訴人の下腹部に押し付けるなどした。」旨主張し、控訴人の供述(原審及び当審の供述並びに控訴人作成の陳述書、以下同様。)は、右主張に添うものであり、その内容は、原判決二三頁八行目から二六頁九行目までに記載されているとおりである。すなわち、『控訴人は、入浴中の午前七時すぎころ、被控訴人から八時にチェックアウトする旨の電話連絡を受けた。急いで身支度を整え、荷物を整理していると、午前七時半すぎころ、被控訴人が突然控訴人の部屋を訪れ、「ちょっといい。」と言って部屋を覗いた。「ちょっと待って下さい。」と言って、急ぎ下着類、衣服をブラウスで包んで一つにまとめて椅子の上に寄せてから、被控訴人を部屋に通した。被控訴人は、部屋に入ってきて、テレビの置いてあるところ付近で立ち止まり、控訴人は、その後ろについて歩いて行き、ベッド脇で立ち止まった。被控訴人は、向きを変えて、「えーと」「うーん、何て言ったらいいか。」と言いながら、口ごもっていたが、いきなり、控訴人の両方の二の腕を強い力でつかみ、控訴人の体を被控訴人に引き寄せてから、覆い被さるような格好で控訴人をベッドに押し倒した。被控訴人は、控訴人をベッド上に押し倒した後、衣服の上から、乳房とか、ブラウスのボタン辺りとかを次々と触り、太ももの内側の肉をぎゅっとつかんだ。これに対し、控訴人は、手を伸ばして、被控訴人の手をつかんで、止めさせようと思ったけれども、被控訴人の手が汚らしく感じられて、手を引っ込めた。その後、被控訴人は、胸を触り、被控訴人の下腹部を控訴人の下腹部に押しつけてきた。さらに、被控訴人は、手で控訴人の両肩のあたりを押さえつけ、これに対し、控訴人は、被控訴人の手や胸や腹部を手で押して抵抗した。控訴人は、上体を押さえつけられて、両手で抵抗しながら、必死の思いで、被控訴人から逃れようともがいているうちに、ベッド左側の床に転げ落ち、急いでテーブル(ライテング・デスク)の向こう側に回った。被控訴人が追いかけてくるような気配がなかったので、黙って立っていると、被控訴人が「えー」とか「うーん」とか「僕の言いたいことはだね。」などと口ごもっていたので、被控訴人に「つまり、だれにも言うなってことですか。」と言うと、被控訴人は、「そう、そういうことなんだよ。」と言った。被控訴人から、両方の指で四角い形を作って「これ、これある。」と言われたので、カウンターの上にあったショルダーバッグのところまで歩いて行き、紙片を取り出し、小さく折り畳んであったので広げて見せた。被控訴人が違うというジェスチャーをしたので、別の紙片を取り出して、これを被控訴人に手渡した。被控訴人は、「じゃ、八時に下で待っているから。」と言って、部屋から出た。控訴人は、しばらく呆然としていたが、時計に目をやると午前八時近くになっていたので、急いで荷物をバッグに詰め込み、部屋を出た。』
というものである。
2 これに対し、被控訴人は、右同日の午前七時五〇分ころに控訴人の部屋を訪れて室内で二人きりになり、控訴人の体に触れたことがあることは認めるものの、これについては、「控訴人の日頃の仕事に対する協力への感謝と励ましの気持ちを伝えるつもりで、控訴人の肩に軽く両手をかけたものである。」旨主張し、被控訴人の供述(原審及び当審の供述並びに被控訴人作成の陳述書、以下同様)は、右主張に添うものであり、その内容は、原判決二六頁一一行目から二九頁三行目までに記載されているとおりである。すなわち、
『被控訴人は、午前七時半すぎ、控訴人に電話をして、午前八時にチェックアウトをするので、遅れないように連絡した。被控訴人は、ホテルをチェックアウトする際、控訴人がふだん遅れぎみなことを知っていたので、先に宿泊確認書(お預かり証)を控訴人から受け取ってロビーで精算をすませておきたいと考え、また、前夜及び前々夜に築いたと思った信頼関係に喜びを感じていたので、感謝と励ましの気持ちを伝えたいと考えて、荷物を持って、チェックアウト直前の午前七時五〇分ころに控訴人の部屋を訪れた。「ちょっと、いいですか。」という趣旨のことを言うと、しばらく待たされてドアが開いたので、部屋に入った。チェックアウト間際であったので、特に密室に入るという感覚がほとんどなかったうえ、荷物(ショルダーバッグ)を持って廊下に立っていると人が通るのに邪魔になると思った。被控訴人は、姿見のところまで行って荷物を置き、控訴人は、CCTVの前に立った。ベッド上には、衣類とか荷物が置いてあった。被控訴人は、「早く精算を済ませたいので。」と言って、手で形を示しながら説明して、控訴人から宿泊確認書(お預かり証)を受け取った。被控訴人は、前夜及び前々夜に築いたと思った信頼関係に喜びを感じていたので、控訴人の日頃の仕事に対する協力への感謝と励ましの気持ちを伝えようと思ったが、その気持ちがうまく言い出せないで、口ごもりながら控訴人の肩に軽く両手をかけた。これに対し、控訴人は、少し驚いた様子で横に身を引いた。被控訴人は、誤解されたことに気づき、その誤解を解くために説明しようとしたが、説明しても弁解になるだけだと考えて、「いやいや違うんだ。」とだけ言って控訴人の肩から手を放した。被控訴人は、遅れないようにとの趣旨のことを述べて、荷物を持って部屋を出た。』
というものである。
3 右に見たように、控訴人が主張する被害体験としての事件については、控訴人と被控訴人がホテル内の控訴人の部屋で二人だけになった際に発生したこと、その際に被控訴人が控訴人の体に触れた(態様はともかくとして)ことがあることは、当事者間に争いがないにしても、被控訴人が、控訴人の主張するように、控訴人の腕をつかんでベッドに押し倒すという、行為自体で性的な目的を推認されるようなわいせつ行為を行ったという点については、被控訴人は強く否定しているのであり、両者の供述の違いは、体験として共通な同一の行為に関する思惑の相違とか、記憶の相違という次元のものとは到底いえないから、控訴人の被害体験が、その供述通り実在したものか、何らかの理由による捏造ないし作話あるいは妄想によるもので現実に存在しなかったものなのかが検討されなければならないことになる。本件においては、事件の痕跡を示すような客観的な証拠はなく、他に目撃者もいないことから、右わいせつ行為の事実を認定できるかどうかは、結局、控訴人・被控訴人両名の供述の信用性の優劣に係ることとなるが、中心は控訴人の供述が被害体験に根ざしたものと認められるかどうかということになるので、まずそれから検討する。
三 控訴人の供述の信用性
1 控訴人の前記供述については、その概要を記載したとおり、短い時間の、控訴人・被控訴人両名の身体的な動作に関する供述ではあるが、一応詳細で、具体性を持ち、しかも、抵抗した際に、「被控訴人の手をつかんで、止めさせようと思ったけれども、被控訴人の手が汚らしく感じられて、手を引っ込めた。」などと、体験した者としての臨場感を感じさせるような供述も含まれているように考えられる。そして、これらの供述は、原審及び当審の被控訴人代理人の反対尋問によっても矛盾や崩れを感じさせることがない程度に、強固に、一貫性をもって述べられているということができる。
2 事件後の控訴人の行動について
(一) 控訴人は、同月五日朝、友人の今野理子に電話をかけて、被控訴人に横浜で変なことをされかけたなどと述べ、事件について打ち明けているし、同月六日ころに前記佐々木助教授に会い、同人に対し、被控訴人に変なことをされたという趣旨のことを述べている(甲九、一五、原審控訴人。これらの事実は、今野あるいは佐々木の供述によっては裏付けられてはいないが、前記の生工研の井上所長が、原審において、同月七日ころに佐々木助教授から、控訴人の訴えを伝えられた趣旨の証言をしていることから、おおむね確かなものと考えられる。)。
(二) 控訴人のテクニシャンとしての同僚である菅原美貴子は、学会から帰った直後の控訴人と被控訴人の会話の様子に、それまでと違った不自然な緊張状態があるように感じて不審に思い、控訴人に対して、「学会中に先生と何かあったのですか」と聞いたほどであった(甲一〇)。
また、控訴人は、同年九月中に、被控訴人が執筆中の研究論文の著者名の中に、自分の名前やジョシー及びその妻の名前がありながら、以前被控訴人のテクニシャンをしていた日諸啓子の名前がないことを知り、同年一〇月六日ころまでに、被控訴人に対し、前記論文の著者名に日諸の名前を入れるよう要求し、これを拒否した被控訴人に対して、ジョシーの妻の名前があるのに日諸の名前がないのはおかしいなどと抗議し、「日諸の名前を入れられないのなら自分の名前も削ってほしい。ジョシーと一緒にされるのは人生の汚点である」と感情的に高ぶった発言をしている(甲九、四七、乙一)。
(三) 被控訴人は、同年九月二一日、知合いの秋田十条化成株式会社の代表者横田金吾と夕食をともにしたが、その際、横田に対し、被控訴人の研究室の女性テクニシャンを秋田十条化成で雇ってくれないかとの申入れをした。これに対し、横田は、当面採用の予定はないので無理である旨答えたが、被控訴人は、さらに、同月二八日、再度横田と夕食をともにした際、就職依頼の背景事情として、横浜に学会に行った際に、ホテルの部屋でがんばろうやということで女性テクニシャンの肩に手をかけたところ誤解されてしまい、右誤解をもとに就職先を探すように脅かされているような感じであるという趣旨の説明をした。横田は、被控訴人の女性テクニシャンに対する行為が被控訴人が述べるように肩に手をかけただけであるならば、なぜそれがもとで女性から脅かされるようなことになるのかが理解できずに、被控訴人に対し、本当に行為はそれだけなのかを確認し、また、そのようなことが原因で被控訴人が女性の就職先を探すということにも違和感を感じて、本当に肩に手をかけた以上のことをしていないのであれば、就職先を探してやるなどせずに、もっと毅然とした対応をすべきであるという趣旨の助言をした(乙一〇、原審証人横田金吾、原審及び当審被控訴人)。
また、被控訴人は、同年一〇月一六日、今野商店の専務取締役と会ったが、その際、右専務に対し、事件の内容を被控訴人の供述のとおり説明して、控訴人とトラブルとなっていること、控訴人が事件を歪曲することを匂わせて被控訴人に対し就職先(正規の研究員ポスト)を探すよう要求していることなどを話したうえで、控訴人の今野商店への就職を依頼した(乙九、原審及び当審被控訴人)。
(四) 控訴人は、同月一九日午前一一時四五分ころ、予め録音の用意をしたうえで、自宅から生工研の被控訴人に電話をかけ、休みたい旨を伝えるとともに、約四〇分間にわたって被控訴人と会話をした。控訴人は、右会話をカセットテープ(甲三〇、以下「本件テープ」という。)に録音した。録音された会話の内容は、本件テープの反訳として甲三一に記載されている。この電話による会話では、控訴人と被控訴人の間では、事件の具体的態様が暗黙の了解事項とされており、会話の中に登場しないが、控訴人の発言は、「私の体が目的だったんでしょう。」「まさか、変なことされるなんて」「セックスする、されるだろうとか、そういうこと期待して入れたわけでもないし」「お酒を飲んで泥酔して何をやっているかわからない状態だったらしょうがないかもしれないけれども」「水商売の女性だったら日常茶飯事かもしれないけれども、かたぎで生活している女性にとっては、非常にショックですよ」「私は従軍慰安婦ですか」「最後までいかなかったということですね」などと、随所で被控訴人の性的目的による行動を非難し訴えているのに対し、被控訴人は、再三にわたって、表現の仕方が適切ではなかったなどと、行為の動機の点を強調するに終始して、例えば、「肩に手をかけただけではないか。」などと、被控訴人の主張に即した具体的な行為の態様に依拠した反論がなされていないところから、心理学による会話構造分析によれば、右の会話は、控訴人が主張する内容の行為が実際にあったことを前提とした会話と考えることができ、被控訴人の主張するような肩に手をかけただけの行為が実際にあったと考えるのは不合理な点があると指摘されるに至っている(甲九、三〇、三一、四五、原審及び当審控訴人、原審及び当審被控訴人)。
3 以上を要するに、本件においては、対立関係にある控訴人・被控訴人双方、特に被控訴人に対する攻撃性の強い控訴人の供述の主観性に配慮して、客観的な証拠を中心に慎重に検討したとしても、控訴人の供述の詳細性、具体性、一貫性などに加えて、控訴人が事件後間もなく身近な者に被害体験を抽象的にではあるが話していること、職場における被控訴人と控訴人の関係が第三者に不自然なものを感じさせたり、被控訴人が控訴人の転職を他に依頼するなど、職場における控訴人と被控訴人の人間関係が事件以前とは著しく変化しているように見えること、控訴人と被控訴人の間の電話では、控訴人が性的被害を受けたことについて被控訴人を詰問しているのに、被控訴人が効果的に反論しているようにみえないことなど、控訴人が、事件によって実際に性的被害を受けたと推認しても無理のないような証拠があることを否定することはできないというべきである。したがって、これらの証拠を否定できない限り、控訴人の供述をいたずらに虚構を述べていると排斥することはできないと言わざるを得ないことになる。
四 被控訴人側の主張について
1 被控訴人は、控訴人が主張しているような行為を全く否定しているところから、控訴人の供述について不自然・不合理な点が多々あることを主張し、ひいて供述にかかる体験が現存しない虚構のものであると主張することになっている。
2 被控訴人は、まず、控訴人の供述のように、被控訴人が控訴人の二の腕をつかんでベッドに押し倒すような行為は、行為者側にも相手側にも著しい苦痛を与えることで不可能であり、またそのような状態で、乳房とかボタンのあたりとかおなかのあたりとか、太腿の内側の肉をつかむなどの行為は体勢的に不可能であって、このことは被控訴人が当該ホテルの部屋で実験した結果により明白であるし、事件後控訴人のバレッタ(髪押さえ)がとれた様子がないことも暴行がなかったことを窺わせると主張する。
しかし、もし事件の内容が控訴人主張のようであるとすれば、被害者として予期しない暴行を瞬間的に受けて狼狽し、感情的に混乱することは容易に想定されるから、自己が受けた暴行の態様を正確・詳細に説明し、再現することができないとしても不自然ではないというべきである。しかも、本件で、控訴人の供述から判明することは、被控訴人と控訴人が向かい合った状態で、被控訴人が控訴人の両腕をつかんでベッドに倒していったため、控訴人が下、被控訴人が上となる形で二人ともベッドに倒れたということだけであって、それ以上には、両者の向き合っていた正確な角度、両者の間の正確な距離、両者とベッドとの間の正確な距離、被控訴人がつかんだ控訴人の腕の正確な位置、どちらの腕でどの程度の力を加えて倒して行ったのか、倒れる際に体重をかけたのかどうか、まっすぐ倒れたのか多少でも体を捻りながら倒れたのか、など詳細は不明であり、厳密には、これらの状況次第によって無数の行為態様が想定できるものであるから、被控訴人のいう実験は、このうち一つの態様を試みたらできなかったというに過ぎないものであって、到底、右実験結果によって、控訴人の供述を虚偽であると断定することができるものではない。また、バレッタがはずれなかった点についても、事件が控訴人の供述のとおりであったとしても、倒れた際の頭の向きや位置関係、外力の加わり具合によっては、バレッタがはずれるまでに至らず、髪の乱れもさほどでない場合があることを否定できないといわざるを得ないから、右の事実をもって直ちに控訴人の供述が虚偽であると断定することはできない。
3 次に被控訴人は、控訴人の主張が通常考えられる強制わいせつ事件の被害者の行動傾向からして不自然・不合理な点があって、被害体験の現実性を疑わせると主張する。すなわち、
(一) 控訴人は、被控訴人によってベッドに倒されてから、乳房や腹部を次々と触られ、太股の内側をつかまれたり、下腹部を押し付けられたりする間、目をつぶって被控訴人のなすがままにされており、その間声を上げたり、被控訴人に対して激しい抵抗をしていない、また、控訴人の供述によれば、控訴人は被控訴人からわいせつ行為を受けている最中に、被控訴人の手を自分の手で止めようと思ったが被控訴人の手が汚らしく感じられて手を引っ込めたなど真摯な抵抗をしていると見られない点で、強制わいせつ行為の被害者の行動として不自然不合理である。
(二) また、控訴人は、ベッドから落ちて被控訴人の強制わいせつ行為から逃れた後、ベッドの脇にあったテーブルの向こう側に回って立ったが、被控訴人を非難することも、被控訴人に対し部屋からの退去を求めることもせず、被控訴人がえーと、えーとなどと口ごもっていたので、被控訴人の気持ちを察して、つまり誰にも言うなってことですか、と述べ、さらに、被控訴人から、両方の指で四角い形を作って「これ、これある」と言われたのに対し、何か紙切れを要求しているのだと思って、ショルダーバックまで歩いていって紙切れを取り出して被控訴人に見せ、被控訴人が違うというジェスチャーをすると、また別の紙切れを取り出して被控訴人に渡した、とされているが、このような供述で述べられている控訴人の行動は、強制わいせつ行為を受けた直後の被害者の行動として冷静かつ余裕にあふれたものであり、およそ不自然不合理である。
(三) 控訴人は、事件直後、待ち合わせ時間に若干遅れた程度でフロントに現れて被控訴人と合流し、その後も朝食を一緒にとり、学会に参加し、学会の最中に被控訴人とともに写真におさまり、昼食もともにするなどの行動をとったほか、当初の予定どおりに鎌倉などを観光して帰宅しているのであって、右事実経過を見れば、控訴人と被控訴人の間に特段のトラブルがなかったようにも窺えるところ、このような控訴人の行動は、強制わいせつ行為の被害者として不自然である。
などというのである。
しかし、性的な被害を受けた人々の行動に関する諸研究(甲三六の一、二、四〇、四一)によれば、強姦の強迫を受け、又は強姦される時点において、相手に対して有形力を行使して反撃したり、逃げたり、声を上げることによって強姦を防ごうとする直接的な行動(身体的抵抗)をとる者は被害者のうちの一部であり、身体的又は心理的麻痺状態に陥る者、どうすれば安全に逃げられるか又は加害者をどうやって落ち着かせようかという選択可能な対応方法について考えを巡らすに止まる者、その状況から逃れるために加害者と会話を続けようとしたり、加害者の気持ちを変えるために説得をしようとする者があるとされており、逃げたり声を上げたりすることが一般的な抵抗であるとは限らないとされていること、したがって、強姦のような重大な性的自由の侵害の被害者であっても、すべての者が逃げ出そうとしたり悲鳴を上げるという態様の身体的抵抗をするとは限らないこと、強制わいせつ行為の被害者についても程度の差はあれ基本的には同様に考えることができること(なお、通常は、強姦と比較して、権利侵害の程度が低い場合が多いと解されるから、身体的抵抗をする者の比率が高まることは考えにくいこと)、加えて、職場における性的自由の侵害行為の場合には、職場での上下関係(上司と部下の関係)や同僚との友好的関係を保つための抑圧が働くために、これらの抑圧が、被害者が必ずしも身体的抵抗という手段を採らない要因として働くであろうということが、研究の成果として公表されているのであり、性的被害者の行動のパターンを一義的に経験則化し、それに合致しない行動が架空のものであるとして排斥することは到底できないと言わざるを得ない。
まして、証拠(甲四七、原審及び当審控訴人)によれば、控訴人は、事件までにも、被控訴人に対して、個人的にかなりの悪感情を抱いていたようではあるが、少なくとも被控訴人が控訴人の職場の上司であり、控訴人が仕事を続ける限り、今後も日常的に被控訴人とつきあって行かねばならないことや、被害を公にし難いのが性的な被害の特色であることに照らせば、控訴人が、強制わいせつ行為は受けたものの、ことを荒立てずにその場を取り繕う方向で行動し、第三者に悟られないように行動するということも、十分にありうることと言わなければならないから、控訴人の主張する行動がおよそあり得ない不自然な行動であると決めつけることはできないことである。
被控訴人は、以上のほかにも、控訴人の主張にかかる事件時の被控訴人や控訴人の行動が不自然・不合理であることを強調しているが、右と同じ理由で、一義的な経験則が該当する領域ではなく、不自然・不合理を理由に控訴人の被害体験を否定しようとする被控訴人の主張が成功しているとは認め難い。
4 また、被控訴人は、控訴人が、事件の直後から、他者に事件を相談した際にも、その後手紙によって、大学関係者に被控訴人を告発した際にも、事件について抽象的な表現しかしておらず、前記電話での会話を含めて被控訴人に対しても一貫して事件について具体的に述べなかったのに、被控訴人からの仮処分申請に直面して初めてその詳細を述べたことも、強制わいせつ行為の被害者として不自然であると主張するが、証拠(甲四〇、四一、五二の一、二)を示すまでもなく、性的被害を受けた被害者が、自己の受けた被害の詳細を、誰彼問わず当初から常に具体的に話すとは限らず、むしろ必要がなければ具体的な話をためらうことも珍しいことではないと思われるから、右の行動をもって控訴人の供述の信用性を否定する根拠とすることはできない。
5 さらに、被控訴人は、控訴人の供述が控訴人の捏造あるいは作話であるとするので、その可能性について検討する。
(一) 被控訴人は、控訴人が被控訴人が好意から両肩に手をかけたに過ぎないことを性的な意味があると誤解し、右誤解を利用して、被控訴人に対して有利な就職先の斡旋を要求しようとしたが、それが叶わなかったために、腹いせに事件の内容を捏造しているという趣旨の主張をする。
しかし、事件後、九月一四日ころまでの間に、控訴人と被控訴人の間で、控訴人が、被控訴人に対し辞職の意向を示したのに対し、被控訴人において、特別に慰留することもなく、希望する職種を尋ね、控訴人が翌平成六年四月ころに生工研を退職することを前提に、被控訴人が控訴人に対して就職先を探してみることを約束し、退職がすぐではなく翌年三月末ころにするという話が出ていたことは、証拠(甲九、四七、乙一、原審控訴人、原審被控訴人)によって認められるし、どちらから出た話かは別として、双方にあまり争いのない事実である。そして、被控訴人も、前示のように、秋田十条化成や今野商店に対し、控訴人の就職の打診もしているのである。
そうだとすると、控訴人としても、有利な就職先を紹介してもらうために、希望職種や勤務条件を具体的に告げたり、被控訴人に時間を与えて動いてもらったりするのが通常であると考えられるが、控訴人は、同年一〇月初旬に、研究論文の著者名を巡ってわざわざ被控訴人の気分を害するようなトラブルを起こしているほか、同月一九日の電話の中でも、就職先の斡旋などというテーマには全く触れずに事件のことだけを問題にしており、しかも同月二一日には被控訴人を告発する手紙を大学関係者に発送し、自ら就職話をぶちこわすような行動をとっているのである。このような控訴人の行動から考えて、控訴人が誤解を利用して、有利な就職先の紹介を目論んだという功利的な目的を有していたと認定することは困難である。
しかも、前記認定したところに証拠(甲九、一〇、四七、原審及び当審控訴人)を総合すれば、事件以後の控訴人は、上司である被控訴人の言動に強い不満を抱き、その人間性にも強い不信感を抱いており、できれば他の研究者の下で働きたいとの希望を持つとともに、被控訴人の下での雇用について漠然とした不安を持っていたとは思われる(被控訴人に対する不満は事件後に増幅された部分も多いと感じられるが)が、他方で、生工研におけるテクニシャンとしての仕事自体には魅力を感じて、真面目に仕事に取り組んでいたことも認められるのであって、少なくとも、事件以前の控訴人が、生工研のテクニシャンを辞めたいとの積極的な希望を持っていたことを認めるに足りる証拠はない。また、控訴人は、夫と二人の子があるが、本件当時の控訴人に、生工研におけるテクニシャンの給料よりも高額な報酬を得る必要性とか、安定した身分の職業に就かなければならないような必要性があったことを窺わせる証拠もない。また、本件全証拠によるも、生工研に勤務してから事件が発生するまでの間の控訴人に、何らかの職場でのトラブルがあったことを窺わせる証拠はないし、生工研に勤務する以前の控訴人において、その勤務する職場や所属する地域社会などにおいて、何らかのトラブルがあったことを窺わせるに足りる証拠も全くない。
そうだとすると、事件が控訴人の有利な就職を目指した功利的な目的による虚言であると考えることには根拠がないといわなければならない。
(二) また、証拠(甲一、七、九、二六、四七、原審及び当審控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実経過が認められる。すなわち、
控訴人は、平成五年一〇月二一日、秋田県庁に電話して、生工研の担当部署及び担当者の氏名を調査し、同日中に、秋田県農政部長、秋田県農政部農業技術開発課長、農短大学長、農短大事務局長、生工研井上所長、農短大佐野浩教授の合計六名に対して、「部屋に入って来られいきなり暴力的に抱き着いて参りました。その後の記憶はかなり断片的ではありますが、とにかく必死の思いで逃げ回りました。」「先生は私が示した抵抗にようやく諦めた後も、しばらく部屋におられましたが、このことは口外しないようにと、言い置いて部屋を出られました。」などと事件の内容を記載し、被控訴人の社会的制裁を求める趣旨の告発をし、さらに、同月二六日ころまでに、秋田コミュニティー・ユニオンに加入するとともに、事件について正式に相談し、支援を受けることとなった。
そして、控訴人は、同月二七日午後三時ころから、農短大事務局長と話し合い、被控訴人が目に見える形で社会的制裁を受けることを求めたが、被控訴人が農短大を辞職することを希望する控訴人と、被控訴人の教授としての地位に影響がない形での解決を希望する事務局長との間で、折り合いがつかなかった。
控訴人は、同年一一月二日、農短大学長と直接会って話し合ったが、事務局長との話し合いと同様に解決がつかず、その後、被控訴人側から、控訴人を債務者として、被控訴人の名誉・信用を毀損する等の行為の差止めを求める仮処分を申し立てた(秋田地方裁判所平成五年(ヨ)第一四八号仮処分申請事件、以下「本件仮処分事件」という。)ため、控訴人は、準備書面で事件について詳細な主張をした上で、第四回審尋期日に、当事者双方が、「マスコミヘの対応は節度をもって対応する」ことを合意したうえで、被控訴人が仮処分申立てを取り下げるという形で終局したのち、控訴人は、同年一二月一六日、本件本訴を提起した。
以上のように、一〇月一九日の電話の後で、控訴人の行動によって事件が社会に広められ、控訴人と被控訴人の間での私的な解決の域を脱して、事件はいわば社会的な意味合いを帯びるに至った。
このような経過は、被控訴人の仮処分申請を別にすれば、控訴人が事件を積極的に人に知らせたことによるものであるが、もし、控訴人が虚言をもって被控訴人の性的な暴力行為を捏造し、その結果として、従前から人間的に嫌っていた被控訴人の人格を誹謗し、名誉を毀損し、辞職に追い込んで社会的地位を失わせ、これにより憂さ晴らしをする手段としてなされているのであれば(本件全証拠によっても、事件以前の控訴人が、被控訴人に対して、事実無根のことを捏造してまで社会的地位を喪失させたいと思うほどの恨みの持っていたような事情があったことを認めるには足りないし、事件の前日まで、被控訴人の誘いに応じて夜遅くまでつきあっていた様子に照らしても、そのようなことは否定されるが)、自らを性的な被害者に擬するような事件を捏造することによって、周囲から好奇の目で見られるなど、職場の人間関係やさらには夫を始めとする家族との人間関係などに有形無形の影響が生じ、結局、控訴人においても生工研でのテクニシャンとしての仕事を継続できないような不利益を受けることになることは一般的な社会事情から容易に想定されると思われるので、控訴人が何らかの利益を得る目的で虚言を用いて事件を捏造しているとは考え難いといわざるを得ない。
むしろ、控訴人の行動は、実際に性的な被害を受けた心傷体験の償いを求めるために、さまざまな行動を取っていると解釈する方が理解しやすいというべきである。
五 被控訴人の供述の信用性
最後に、被控訴人の供述の信用性について言及する。
被控訴人は、事件の直前に、フロアの異なる控訴人の部屋を訪れ、部屋の中に入って控訴人と二人きりになったことの理由について、チェックアウトの際に提示する書類(当初は予約金支払証と主張し、後に宿泊確認証と訂正した)を受け取ることと、それまで二晩被控訴人の部屋で二人きりで話し合って信頼関係が生まれたと感じたことから、日頃の仕事に対する感謝と励ましの気持ちを伝えようとしたこと、という二つの目的があったもので、もとより性的な興味や欲求によるものではないと主張し、好意を示すために肩に手をかけただけだと主張している。被控訴人の供述態度は、当審でも真摯に見え、その内容も一貫しているようにも見える。しかし、被控訴人の言う二つの目的を達成するためとしても、控訴人の部屋の中にまで入る必要はなかったと思われるし、控訴人の部屋に入る前に、その目的を説明した形跡も認められない。また、被控訴人が、事件の前、二晩にわたって、酒を飲みに出た後、控訴人を自分の部屋に誘い入れ、深夜まで長時間にわたって話しの相手をさせたという行動についても、互いに配偶者及び子供を持つ身であり、職場の上司と部下という関係にすぎない間柄としては、相当な行為とは思われず、控訴人の心理を考えない自己中心的な軽率な行動であるとの感を否定できないのであり、被控訴人の供述の信用性を評価する上で、マイナスに働く要素となっていることは否定できない。
六 本訴についての結論
以上述べてきたように、控訴人の供述と被控訴人の供述の信用性を比較検討するとき、控訴人の供述はそれなりに信用性を具備する特徴があり、事後において事件の実在を窺わせるような間接証拠も存在すると認められ、被控訴人側が、供述の不自然・不合理を主張することによってもこれを否定するには足りないし、供述が捏造あるいは作話であるとは解し難く、むしろ控訴人の行動が心傷体験の償いを求める行動として理解することが可能であることに照らすと、証拠の優勢を吟味する観点では、控訴人の供述の方が信用性が高いといわざるを得ず、他に、事件を客観的に明らかにするような証拠がない以上、控訴人の供述を採用するほかなく、これによれば、事件の内容は、控訴人の供述のとおりのものであったと認定するのが相当である。
右によれば、本件は、被控訴人が控訴人に強制わいせつ行為を行い、その性的自由を違法に侵害したものとして、不法行為を構成することが明らかであり、被控訴人は控訴人に対し、右不法行為により控訴人が被った精神的損害を賠償すべきところ、事件の態様、控訴人と被控訴人の身分関係、本件が業務出張中の出来事であったこと、事件後の被控訴人の対応が誠意あるものではなかったこと、などの事情に加えて、事件発生から今日までの経緯などの本件の一切の事情を総合考慮すれば、慰謝料を一五〇万円とするのが相当である。
また、本件不法行為と相当因果関係ある弁護士費用としては、三〇万円が相当である。
七 被控訴人の反訴について
1 被控訴人は、控訴人が被控訴人の名誉を毀損したと主張し、右名誉毀損行為の具体的事実として、原判決反訴請求原因3(一)ないし(四)の各事実を主張している。
このうち、控訴人が秋田県農政部長、秋田県農政部農業技術開発課長、農短大学長、農短大事務局長、生工研井上所長、農短大佐野浩教授の六名に本件手紙の写しを発送したこと(反訴請求原因3(一)の事実、以下「本件送付行為」という。)、控訴人が本件本訴を提起し、原審第一回口頭弁論において本訴の訴状を陳述したこと(同3(二)の事実、以下「本件提訴行為」という。)、控訴人は本訴の訴状と同様の記載をした告訴状を秋田地方検察庁検事正宛てに提出し、強制わいせつ罪で被控訴人を告訴したこと(同3(三)の事実、以下「本件告訴行為」という。)、以上の事実は当事者間に争いがない。
また、反訴請求原因3(四)の事実中、控訴人が雑誌「KEN」の記者に本件仮処分事件の裁判記録や本件テープを渡したこと、「KEN」の平成五年一二月号の三二頁ないし四〇頁に、「女性研究員に強制猥褻と騒がれた県立農業短大乙川教授の長い憂鬱」「学会出張の朝」「セクハラ教授を辞めさせて!」「横浜のホテルで襲う」との大見出し、「ことしの九月、学会出席のため横浜へ出張した教授が、同行した女性研究員(中略)をホテルの一室で襲ったというのだ。教授のセクハラ事件である。それも早朝の事件。」という前文、「いきなり暴力的に」「都合の悪い話はするな」という小見出しが、それぞれ掲げられた記事が掲載されたこと、同月号の四六頁ないし五三頁に、「乙川センセイの長ーい憂鬱」「計画的だった横浜の夜と朝」「ふた晩がかりのエッチ伏線」との大見出しが掲げられた記事が掲載されたこと(右各記事を、以下「本件記事」という。)、以上の事実も当事者間に争いがない。
そして、本件送付行為、本件提訴行為及び本件告訴行為(以下「本件各告発行為」という。)により被控訴人の社会的評価が低下したことは明らかであるし、また、本件記事が被控訴人の社会的評価を低下させる内容のものであることも明らかである。
2 被控訴人は、本件各告発行為について、故意又は過失により違法に被控訴人の社会的評価を低下させたものであって、被控訴人に対する名誉毀損行為となる旨主張する。
しかしながら、これまで検討してきたところによれば、本件各告発行為は、いずれも、被控訴人から強制わいせつ行為を受けた不法行為の被害者である控訴人が、被控訴人から適切な被害回復を得られないために、自分が真実と考えることを主張して加害者である被控訴人を社会的に告発しようとした行為にほかならず、このうち、本件提訴行為及び本件告訴行為は、その主張する事実が真実である以上、いずれも正当な権利行使として当然に許される適法な行為であるし、本件送付行為についても、加害者である被控訴人が勤務する職場を所管する県の部局の部長及び課長、職場の学長及び事務局長などの限定された者六名に対して、被控訴人の処分を求めて事件を告発したものであって、その内容においても、事件の詳細が正確に述べられずに抽象的な表現がなされてはいるものの、ことさら虚偽や誇張が含まれているわけではなく、いずれにしろ正当な権利行使の範囲内に止まる行為であって、違法とまでいえないことは明らかである。
3 被控訴人は、控訴人が、故意又は過失により、違法に、「KEN」の記者に対して、本件仮処分事件の裁判記録や本件テープを渡すなどして事件についての情報を提供し、その結果、被控訴人の名誉を毀損する本件記事が掲載されたと主張するので、以下検討する。
4 証拠(甲四七、五〇の一、二、乙二三、原審及び当審控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一) 「KEN」の記者である八柳一夫(以下「八柳」という。)は、遅くとも平成五年一〇月末ころまでに、取材の過程で、秋田県農政部が所管するどこかの部署で何らかの不祥事があったらしいとの情報を得て、さらに取材をした結果、不祥事が起きたのが農短大であること、不祥事の内容は、女性が男性上司にセクハラをされたことを手紙によって秋田県の関係者に告発したというものであることを確認するとともに、右告発にかかる手紙の内容まで知るに至り、このようなスキャンダルなら売れる記事になるとの確信から、取材を継続することとした。
(二) 八柳は、右取材の過程で、告発の主が控訴人であることや控訴人の住所氏名を知り、同月二六日に控訴人の自宅を訪れたが控訴人と会うことはできなかった。八柳は、翌二七日も控訴人の自宅を訪ね、控訴人に対し直接取材の申入れをしたがこれを拒否され、同月二八日にも控訴人の自宅を訪ねたが、二六日と同様に控訴人と会うことはできなかった。
(三) 八柳は、同月二九日にも控訴人の自宅を訪ねた。この当時の控訴人は、農短大関係者との話し合いが思うように進展せず、農短大側の対応に失望感を強くしていたこともあって、誰かに話を聞いてもらいたいという気持ちになっていたため、初めて八柳の取材に応ずる形で、事件について話をするとともに、事件後の井上所長や農短大側の対応を非難する内容の話をするなどした。
(四) 八柳は、右のとおり、控訴人の取材を継続する一方で、他方当事者である被控訴人や農短大関係者にも取材し、これらの結果をもとに、「KEN」に本件記事を掲載したが、右記事の内容、大見出し、小見出し、前文などの構成について、すべて「KEN」の編集部の責任においてなされたものであり、控訴人は一切関与しなかった。
5 右4で認定した事実経過に、これまで検討したところ並びに弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人は、自ら積極的に八柳に情報を提供したわけではなく、八柳の方からの取材申入れに応じて情報を提供したにすぎないこと、右情報提供行為は、強制わいせつ事件の被害者である控訴人が、加害行為及び事件後の加害者である被控訴人の対応についての情報を提供したものであり、しかも、真実の情報が提供されていること、右情報提供時において、八柳から控訴人に対し、「KEN」が事件を記事にするかどうか、記事にするとしてどのような角度から記事にするのか、などについて一切の説明がなされていなかったこと、控訴人は、「KEN」の記事の内容構成についての何らかの影響を及ぼしうるような地位にはなく、本件記事は、控訴人からの取材のみならず、被控訴人や他の関係者からの取材から得られた情報を総合して作成されたものであり、記事の内容構成は「KEN」の編集部の権限と責任において行われたこと、以上の事実が認められるから、以上を総合するならば、控訴人が本件仮処分事件の裁判記録や本件テープを渡したことは、いまだ違法な行為とはいえないし、本件記事が控訴人の情報提供行為が契機となったものであるとしても、いまだ、右行為と本件記事が作成され被控訴人の名誉が毀損されたこととの相当因果関係を肯定するには至らないというべきである。
6 以上によれば、被控訴人において、控訴人による被控訴人に対する名誉毀損行為であると主張する行為は、いずれも適法なものであるか、いまだ違法とはいえないものであるか、もしくは、名誉毀損の結果とは相当因果関係を有しないものである。
よって、被控訴人の反訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
第四 以上の次第で、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し、一八〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成五年九月三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、被控訴人の反訴請求は理由がない。
そうすると、控訴人の本訴請求を棄却し、被控訴人の反訴請求を一部認容した原判決は、右と異なる限度で相当でなく、本件控訴は、一部理由があるから、原判決を変更して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官守屋克彦 裁判官丸地明子 裁判官大久保正道)